芥田雄輝 – 中国で23年、そしてまた新しい会社へ
#04
INTERVIEW
社員インタビュー
中国で23年、そしてまた新しい会社へ。
「好奇心があれば、
トライできる」
2026年入社
芥田雄輝

中国・深圳と香港で、23年。芥田雄輝さん(以下:芥田さん)が2026年4月に選んだ次の職場は、それまで見たことも触ったこともない映像機材を扱う株式会社PANDASTUDIO.TVでした。
主に中国メーカーからの仕入れやセミナー運営を担当している芥田さんですが、入社したその月には、海外出張に行かれています。
組織図もなく、固定電話もないこの職場を、芥田さんはこう表現します。「日本企業というイメージにとらわれないで仕事ができる会社」と。
中国で過ごした23年から、入社してからの数か月、これからやってみたい仕事まで、詳しくお聞きしました。
CONTENTS|目次
PROFILE|プロフィール
| 入社 | 2026年4月 |
|---|---|
| 担当 | 中国メーカーからの仕入れ業務、セミナーの運営サポート |
横浜で育ちました。30代の初めにアメリカで1年を過ごし、西海岸で生き生きと暮らす中華系の人たちの姿を見て、中国語に興味を持ちます。帰国して2〜3年勤めたのち、「今を逃すと後悔する」と思い立ち、30代半ばで中国・深圳へ。深圳大学で中国語を学びました。
翌年に結婚し、深圳と香港で約23年を過ごします。帰国後は、中国時代にお世話になった複写機の部品を扱う商社で、営業として2年間勤務しました。
2026年4月にパンダスタジオへ入社。中国の仕入れ先メーカーとのやりとりや商品の社内登録、セミナーの現場運営を担当しています。
01CHAPTERいま、中国メーカーとの窓口で

まず、自己紹介と、パンダスタジオでの担当業務を教えていただけますか?
芥田雄輝です。入社したのは今年、2026年の4月から。入社したての新入社員です。出身は横浜ですね。
仕事は、主に中国からの仕入れの業務をしています。中国の仕入れ先のメーカーさんとのやりとりですとか、入ってきた商品の社内登録に関する連絡ですとか。
あとは、今のタイミングでいうとセミナー関係ですね。主に現場での運営のサポートをやらせてもらっています。
一日のスケジュールは、だいたいどんな流れですか?
自分の中で、こういうふうに仕事をしていきたいなという理想のスケジュールがあるんです。
午前中は、前日にやり残した分ですとか、そういったものを確認して整理する時間に充てたいなと思っています。中国企業の人たちって、あんまり時間を気にしないんですよ。夜の時間でもメッセージが入ったりすることがあるので。
午後は、セミナーやイベントで動き回ることがあるので、あまり机に向かわないでやれる仕事をやる。机に向かう仕事と、体を動かす仕事。大雑把にそういう区分が自分の中にあって、その流れで一日を組み立てられたらな、といつも思ってやっています。
理想どおりにいかない日もありますか?
ありますね。ある製品のどこそこが破損していたという連絡が入ったりすると、もうそっちのほうが最優先になるので。予期せぬことが起こって対応するというのは、たまにあります。
ただ、扱っている商品の数からすると、不良の割合はあんまりない方じゃないかなと思っています。メーカーさんが、しっかりしたものを納めてくださっているんだと思いますね。
あとは、セミナーやイベントがあると土曜日に出勤することがあります。その代わり、平日に振替のお休みをいただいています。



芥田さんから見て、パンダスタジオはどういう会社だと思いますか?
日本企業ってこうだよね、というイメージが、我々日本人にとっても、外国人から見てもあると思うんですね。よく言えば規律正しく、ルールに従って仕事をするというような。
パンダスタジオは、そのイメージからちょっと逸脱するような会社かなと。外国人の方も多い会社ですけれども、日本企業というイメージにとらわれないで仕事ができる会社なのかなという感じがしています。
そう感じたエピソードはありますか?
エピソードというわけではないんですけど、私が少なくとも勤めてきた企業では、必ず会社の組織図がありました。パンダスタジオでは、いまだにそれを見かけたことがありません。
パンダスタジオは、何々部があって何々課があって、課長がいて部長がいて、という考え方ではないと思っています。
この仕事をしていて、やりがいを感じるのはどんなときですか?
もともとパンダスタジオに転職をしたのも、中国とのやりとりを日常的にやりたいということがあったので。毎日の仕事で必ず中国メーカーさんとのやりとりがあるという点に関しては、満たされているのかなと思っています。
あとは、これは入社してから思ったことなんですけど。セミナーに申し込んでくださった方と実際にお会いして、お話をすることが面白くて。
入社前は想像もしていなかったんですが、店頭受付のような、お客様と直接向き合う仕事も結構面白いのかな、と思うようになりました。
「予期せぬ話」をされるお客様もいるそうですね?
パンダスタジオレンタルをよく利用されるお客様って、機材に詳しい方が多いんですよね。そう言った方とお話しする時、私みたいにまだ勉強中みたいな人間にとっては「えっ」と思うようなことがよくあります、知っている方からすれば大したことないんでしょうけれども。そういった意味で、勉強になるというか、刺激になるというか。
カメラで撮った1枚の写真でも、今まではその写真そのものしか見てこなかったんです。でも、その写真が出てくる裏側でどういったことがされていたのかを、少し垣間見られる。そういうところは面白いですね。今まで目を向けてこなかったことなので。


02CHAPTER中国での23年
横浜で育ったあと、中国に20年以上いらっしゃったんですよね。きっかけは何だったんですか?
中国に行ったのは、本当に思いつきというか。もともと、1年ほどアメリカにいたことがあったんです。そのときに西海岸で目にした人たちの中でも中華系の方々が、すごく自由に、生き生きと現地で生活している姿を見まして。
それで、アメリカにいるときに中国語に興味を持ちました。中国語を喋ると、彼らの世界にちょっと近づけるかな、なんて漠然と思ったんですね。
それは、おいくつぐらいのときでしたか?
30代の初めごろですね。日本に帰ってきて、普通に勤めていたんですが、30代の半ばぐらいになったときに、「あのとき中国語をやると面白いかなと思った、あの気持ちを実践するのであれば、もう今を逃すとなくなっちゃって後悔するぞ」と思って。
それで、親に頭を下げましてですね。「もうこれが最後のわがままだから」と言って行った、というのがきっかけです。

留学先の深圳では、どんな生活をされていたんですか?
深圳大学で中国語の勉強をしていました。本科生としてではなくて、中国語を学ぶための留学生を受け入れる制度があって、そこにいました。
当時、深圳大学には200人ぐらいの留学生がいると言われていて。日本人と韓国人がほとんどでしたが、中にアメリカ人、ロシア人、ブラジル人もいて。割と当時から国際色豊かな感じでしたね。
寮生活だったんですか?
当時はまだ、留学生用の寮というのがなかったんです。それで、4年制の大学に通っている中国人の学生さんの寮に住んでいました。
当時、彼らは1部屋に4人か6人。留学生の私は1人で使わせてもらっていましたが、隣の部屋は当然、現地の学生さんです。拙い言葉で「元気? 今日は何するの?」みたいな話をするのが楽しかったですね。洗濯物をしながら、そんなことをやってました。
そのまま住み着くことになったんですね?
そうなんです。深圳に行った翌年に妻と知り合って、結婚して。そのまま腰を落ち着けることになりました。深圳と香港で、23年になります。
日本に戻られてからは、何をされていましたか?
部品の商社で2年ほど営業をしていました。複写機、コピー機に使われる部品を取り扱う会社です。
中国と関わり続けたい、という気持ちはずっとあったんですか?
ありました。前の会社にも中国とのつながりはありましたが、日本にいると、どうしても中国と接する時間は限られてしまうんですね。
日常的に中国とやりとりをする仕事がしたい。その気持ちが、パンダスタジオに移ることを決めた、いちばんの理由になりました。
映像や機材の会社だということは、気にならなかったんですか?
なりませんでした。扱っているものが何であれ、中国のメーカーさんと毎日やりとりがしたいと思っていましたから。
結果的には、その「扱っているもの」のほうが面白くなってきているんですけれども。

03CHAPTER入社してからの数か月
パンダスタジオで人を募集しているということは、どこで知りましたか?
パンダスタジオで働いている方からなんですよ。もっとも、私はその方から直接聞いたのではなくて。
その方は妻の知人で、妻に「求人を募集しているよ」と教えてくれたんですね。それで妻が「中国で仕事できるかもしれないよ」と私に話をしてくれたのがきっかけです。
入社する前に、不安だったことや心配だったことはありましたか?
全くなかったです。何にも。能天気な人間なので、あんまりマイナスのことをそもそも考えない、というのもあるんですけど。
映像機材に詳しくないことを不安がる方は多いのですが、そこは気になりませんでしたか?
全く考えなかったですね。
言われてみれば、機材のことは何も知らないまま入ってきているんですよね。それでも心配しなかったというのは、われながら不思議です。
入社して最初の数か月で、大変だったことは何ですか?
海外出張じゃないですかね。入社したその月、4月入社の4月に海外へ出張しました。会社にいる時間よりも、海外にいる時間のほうが長かったです。なかなかないですよね。
どこを回られたんですか?
初めに上海、それから深圳、香港、広州…最後はラスベガスに行って、帰ってきました。だいたい2週間くらいの出張でしたね。目的は、メーカーさんの本社にうかがうことと、展示会をまわることでした。
正直、いちばんこたえたのは何でしたか?
体力ですね。あんなに歩いた出張は、多分いままで経験したことないですね。1日に2万歩ぐらい歩いてましたもんね。
行く先々が展示会でしたし、荷物を持ったまま会場を一日中歩き回りますから、体力的にはかなり消費した出張ではありました。
息抜きはできましたか?
ホテルに戻って、相部屋になった同僚と話しているのが息抜きだったんですよね。出身国の違うメンバーと相部屋で、いろんな話ができて、それは良かったです。今となってはいい思い出ですね。
入社してから、新しくできるようになったことはありますか?
まさに、AIです。
以前はAIを意識することもほとんどなかったですし、活用することもほぼなかったですけど、一気に使うようになりました。
どのAIをよく使っていますか?
私はCopilotをよく使っています。私のやっているぐらいの仕事だと、Copilot程度でこなせちゃうぐらいの感じですかね。この会社はMacの人が多いんですが、私はWindowsなので、もともとパソコンに入っているものをそのまま使っています。

前に勤められていた会社と、特に違うと感じたことは何でしょうか?
入社当日に思ったことは、電話がない、それから複写機がないというのにちょっとびっくりしまして。プリンターこそあるものの、大きなコピー機は1台もない。
電話のないこともあるのか、すごく静かに感じました。これはいい意味で、集中して作業ができるという環境なんだろうなと思いました。また、オフィスが高い階にあるので、窓からの眺めもいいですね。
これまでのご経験が、役に立っていると感じるところはありますか?
業務的には、モノの流れですね。中国から商品が入ってきて、それが私たちのビジネスの現場に届くまで。その流れ自体は以前の会社とそんなに変わらないので、そこは前職の経験がそのまま使えています。
とはいえ、実はわかっていないことのほうが多いと思いますね。前の会社と違うところが本当にたくさんある。そういった意味では、本当に刺激のある環境だなと思っています。

04CHAPTER多国籍な職場と、これから
いろいろな国の出身の方と一緒に働いていて、良かったことはありますか?
やっぱり、面白いです。
普通の、何てことのない日常会話を話しているときでも……なんと言ったらいいのかな。日本人の方は、話をしていても、あんまりこう、色を感じないなと思うんです。
「色」というのは?
変な表現の仕方かもしれませんけど、なんか表情が少ないというのかな。外国人の方と話していると、表情が豊富というのかな。
たわいのない話をしているだけでも、それを見ているだけでなんか楽しいですね。
何があってどうだ、ということじゃないんですけど、普通の時間がもう、なんだか楽しい。そんな感じです。
海外留学での経験が、今のお仕事で役に立っていると感じることはありますか?
外国人の方が社内に多い会社なんですけど、留学経験のおかげか全く違和感なく過ごせていますね。
むしろ、表情の少ない日本人の方よりは、彩りのある方がいてくれたほうが、私個人的にはすごく落ち着くような感じがしています。

これからやってみたいお仕事はありますか?
どうしても私は中国へのこだわりがあるものですから。
ちょうど今、中国の事業も立ち上げるという時期ではありますけれども。今後、広い中国ですから、たとえば深圳と上海と、あとは北京ですとか、同じ中国国内でいくつかの拠点があるというような形になると、面白いかなと。
中国国内を自分の足で回るのは大好きですから、拠点から拠点へ動きまわるような仕事、機会があれば、どんどん行きたいですね。
海外と関わる仕事をしたいと思っている方に、この会社を紹介するとしたら、どういう会社だと説明しますか?
やっぱり、日本にいるのが退屈だな、つまらないなという方には、刺激のある環境でパンダスタジオがいいんじゃないでしょうか。
入社する前に、やっておくといいことはありますか?
自分のことを振り返って思うと、映像制作の世界をイメージして、作品が出てくるまでに、どういったプロセスでそういったものができるのかということを、少し考えておくといいのかなと。
携わる機材や人を想像しておくと、実際に入社されたときに、いろんな機材といろんな方との出会いの中で答えが見つかるかもしれないですよね。
自分も、それをやっておけばよかったなと思います。

最後に、これから応募される方へメッセージをいただけますか?
若い方は、何でもできます。何でもトライできますよね。
そして、私みたいに年を取った人も、まずは好奇心があればトライできます!

取材を終えて
芥田さんは、多くの会社なら新入社員とは呼ばれない年齢で入社し、その同じ月に海外出張へ出ています。
23年の中国経験は、短期間で身につくものではありません。言葉も、現地の商習慣も、メーカーとの距離の詰め方も。それが、いまの仕事にそのまま必要とされています。経歴が長いことが、そのまま強みになっているという例です。
30代半ばで会社を辞めて中国へ渡ったときも、23年ぶりに帰国して知らない業界に入ったときも、芥田さんは同じことをしています。年齢を理由に、選べる道を自分で狭めなかった。「好奇心があればトライできる」という最後の言葉は、そういう20数年を通ってきた人の言葉ですね。